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現代妖怪「子供部屋おじさん」について

面白い言葉ではあるが、好きではない言葉ってありますよね。

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実家暮らしの罪と無罪 ― 同調圧力という集団催眠をめぐって

世の中には、ときどき「言葉の妖怪」みたいなものが現れる。
「子供部屋おじさん」なんてのは、その代表格だ。誰かがつぶやいたのか、雑誌に載ったのか、起源はよく分からないけれど、気がついたらそこら中に漂っていて、まるで幽霊がビルの谷間をさまよっているみたいに、あちこちの会話に顔を出す。

その言葉は、人を揶揄するために使われる。つまり「まだ実家に暮らしているなんて未熟だ」という短絡的なラベルだ。
だが、ちょっと立ち止まって考えてみるといい。実家に暮らすことは、本当に未熟の証明なのだろうか。


集団催眠のような常識

僕はよく喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら、街を行き交う人々を眺める。
誰もが忙しそうで、そして「常識」という同じメトロノームに合わせて歩いているように見える。

  • 「正社員じゃなきゃ安定じゃない」
  • 「家を買わなければ一人前じゃない」
  • 「実家を出なければ自立じゃない」

それは本当に真実だろうか。あるいはただの集団催眠かもしれない。アッシュの実験に出てきた被験者のように、まわりが「線の長さはこれだ」と言えば、自分の目に映る現実を曲げてまで同調してしまう。人間とはそういうものだ。


実家暮らしの合理性

歴史をひもとけば、家族と共に暮らすのはごく自然なことだった。
ヨーロッパでもアジアでも、結婚するまでは実家にいるのが当たり前で、それを責める人などいなかった。むしろ「親と一緒に暮らせる協調性」こそ美徳とされた。

現代の日本だって、住宅価格は高く、給与は思ったほど伸びない。
そんな状況で実家に暮らすのは、合理的な選択の一つだろう。余計な家賃を払わずに資産形成ができるし、親の老後に自然に備えることもできる。むしろ「関係性をうまく築く力」を持っている証かもしれない。


1人暮らしもまた選択肢の一つ

もちろん1人暮らしには、自由や成長の側面がある。
夜中にカップラーメンをすすろうが、部屋を散らかそうが、誰にも文句を言われない。その小さな自堕落は、ある種の独立宣言でもある。
でも、だからといってそれが絶対的な「成熟」だと勘違いするのは危うい。


同調圧力から少し距離をとる

「子供部屋おじさん」という言葉を聞いたとき、僕たちは笑うかもしれない。だがその笑いの背後には、「みんながそう思っている」という同調圧力が潜んでいる。
もし僕らがそれを鵜呑みにしてしまうなら、自分の人生を他人のルールに明け渡してしまうことになる。

人間はもっと自由でいい。
実家で暮らしていようが、六畳のワンルームにいようが、重要なのは「そこでどんな関係を築き、どんな未来を描けるか」だ。


結びに

「子供部屋おじさん」という妖怪は、僕たちの社会が作り出した幻影にすぎない。
それに怯える必要も、逆に優越感に浸る必要もない。

たしかに世の中は同調圧力で満ちている。でも、アイスコーヒーを一口すすりながら、その圧力から半歩だけ距離をとってみる。
その瞬間に、見える景色は少しだけ変わるはずだ。

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