美術、芸術、アートの違いってなんだろう🎨
ひといきついて思索に耽るのも一興 ☕️
ひといきついて思索に耽るのも一興 ☕️
ある週末の午後、僕はアトリエの薄明かりの中で静かに筆を握っていた。
キャンバスにはまだらに置かれた色彩たちが、いつか形になることを待っている。
この場所で絵を描くのが、ここ数年来の日課というか、週末の密かな楽しみだ。
仕事も雑事もひとまず忘れて、ただ色と向き合う。そうすると不意に、なんでもないことが妙に気になったりするものだ。
その日も僕は筆を走らせながら、ふと考えてしまった。
「芸術と美術とアートって、いったい何が違うんだろう?」
まるで迷路の入り口に迷い込んだような感覚だ。
「芸術」「美術」「アート」──どれもキャンバスの周りをうろつく言葉だけれど、いざ違いを説明しようとすると、言葉がなかなか見つからない。
筆を止めて、そのまましばらく考え込んでしまう。
ネットや辞書で調べてみることにした。
最初に思い浮かんだのは「美術」。
アトリエに置かれた画集や、過去に見に行った美術館の展示が頭にちらつく。
「美術」は元々、西洋の “Fine Arts” を日本語に取り入れたときに生まれた概念らしい。
いわゆる絵画、彫刻、工芸など、視覚を通じて美を表現する分野に重きを置いているそうだ。
そういえば、学校の授業でも「美術」って科目名だったな。
僕らが「絵を描く」といえば、たいてい「美術」と呼んでいた。
記憶の中の美術室の匂いを思い出すだけで、絵の具の色合いが鮮やかに立ち上がってくる気がする。
次に「芸術」。
こっちはもう少しスケールが大きいという印象がある。
音楽や演劇、文学、舞踊や映画も含む、大きな表現のジャンルだ。
僕は自分のキャンバスを見つめながら、「美術」がその一部分であるとすれば、「芸術」はもっと包括的な傘みたいなものだろうと思う。
例えば、楽器を演奏することも舞台に立つことも、小説を書くことだって芸術に含まれる。
そういう多面的な広がりがあるからこそ、「芸術」という言葉には少し神秘的なニュアンスが漂っているのかもしれない。
今度はカタカナの「アート」を思い浮かべてみる。
すると、不思議なことに、同じ “Art” なのに「美術」とはちょっと違った肌触りを感じる。
「アート」と聞くと、なんだかカジュアルで現代的な雰囲気があるのはなぜだろう。
例えばアート・プロジェクト、アート・イベントといった言葉には、
伝統的な絵画や彫刻に限らない、もっと自由で実験的な表現が含まれそうな感じがある。
インスタレーションとかパフォーマンスなんてジャンルは、「美術」よりも「アート」と言ったほうがしっくりくる気がする。
それから「純粋芸術」という言葉も、僕の頭の中をさっとよぎる。
まるで光が差し込むようにイメージが広がる瞬間だ。
「純粋芸術」は “Art for art’s sake” とも呼ばれ、
芸術そのものの価値を追求しようとする姿勢を示すらしい。
商業的な目的とか実用性とは無縁のところで、ただひたすら美や表現を探究する、そのストイックな感じが魅力的でもある。
面白いのは、そうやって生まれた新しい技法や理論が、
いつの間にかデザインや建築、ファッションに応用されていくことが多いということ。
純粋芸術の実験が、やがて僕らの日常生活を豊かにしていると思うと、
芸術の循環って本当に不思議だと感じる。
アトリエの片隅で筆を置き、ちょっと一息ついて、
現状のまとめを書いておこう。
こうやって書き出してみると、少しだけ自分の中で整理された気がする。
迷路の入り口に立っていた僕は、ちょっとした地図を手にしたおかげで
ずいぶん歩きやすくなったように思える。
ふと、僕はまた筆を取り上げて、さっき描きかけのキャンバスに向き合った。
僕がいま手掛けているのは油絵だけれど、これはきっと「美術」の領域なのだろう。
でも、もしかしたら中身によっては「アート」と呼ばれるかもしれない。
あるいは、いつかは芸術の大きな流れに寄り添うことになるのかもしれない。
どの言葉が当てはまるかなんて、今は気にすることはない。
キャンバスと向き合っているうちに、自然と答えは浮かんでくるだろう。
それでも、こうして言葉の違いを意識するだけで、なんだか世界が少し広がった気がするのだ。
筆先から色彩がにじみ出て、まだ乾いていない絵の具とまじわりながら、
新しい形を生み出していく。
僕はその様子にしばし見入っていた。
たぶん、きっとそこには僕なりの「アート」が宿る予感がしている。