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芸術の本質について考えてみた

日曜日。朝から雨が降っている。
僕は窓辺に立ち、静かに降り続ける雨を眺める。世界が灰色に染まり、どこか遠くのラジオが小さく鳴っている。

こんな日は、どうにも絵を描く気になれない。
キャンバスを前にしても、筆を持つ手が動かない。もちろん、無理に描くこともできるけれど、気持ちが乗らない時の線は、どこかぎこちなく、何かが欠けてしまう。だから僕は、ただ横になり、考えごとをする。
例えば、「芸術とは何か?」ということについて。


芸術の本質とは?

もし誰かに「芸術とは?」と尋ねられたら、多くの人は「美しいもの」「感動を与えるもの」と答えるだろう。でも、それは芸術の表面的な一側面でしかない。

本当の芸術の本質とは、「価値観を揺さぶるもの」だ。言い換えれば、「常識を覆すもの」

例えば、ダ・ヴィンチやモネ、ピカソの作品がなぜ時代を超えて評価されるのか。それは、彼らがその時代の”当たり前”を打ち破ったからだ。

  • モネは輪郭を捨て、光と色の揺らぎだけで風景を描いた。
  • ピカソは遠近法を破壊し、あらゆる角度から見た形を一つの画面に詰め込んだ。
  • ダ・ヴィンチは解剖学を極め、絵画に生命のリアリティを持ち込んだ。

彼らは、新しい視点を提示し、世界の見え方そのものを変えた。だからこそ、時代を超えて語り継がれている。

では、そんな芸術が実生活で役に立つのか?という疑問が生まれる。


芸術に実用性はあるのか?

結論から言えば、芸術は直接的な実用性を持たない。

芸術が生活を便利にするわけではないし、絵を描くことでお腹が満たされるわけでもない。
もし芸術が実用的な側面を持ったなら、それは「デザイン」や「建築」として形を変えてしまうだろう。

例えば、美術館に飾られた壺は芸術品だ。でも、それを家に持ち帰り花を生けた途端、ただの実用品になる。
逆に、お皿に描かれた花模様も、使わずに飾れば芸術と呼ばれる。
芸術とは、実用性とは異なる場所に存在するものなのだ。

では、実用的ではないものに価値はあるのか?と問われると、僕は「ある」と答える。それも、人生をより豊かにする意味で、大いにあるのだ。

目の前に「コーヒー」があるとする。

通常の考え方なら、

  • 「飲み物」
  • 「眠気覚まし」
  • 「カフェで出てくるもの」

といった認識で終わるだろう。

でも、芸術的な視点を持っていれば、

  • 「湯気の立ち方は、風によってどう変わるのか?」
  • 「コーヒーを零した時、テーブルにできる模様はどんな形になるか?」
  • 「コーヒー豆はどのように栽培され、どのように育つのだろう」
  • 「苦味の向こう側に、どんな味が隠れているんだろう?」

こうやって、ただのコーヒー一杯にさえ、無数の可能性が広がる。

物事を決めつけずに、多角的に見ること。

それは、常識にとらわれないクリエイティブな思考を生み、新しいアイデアを生むための「柔軟な脳」を育てる。

芸術に触れることは、人生のあらゆる場面で、こうした「発想の幅」を広げるきっかけになる。


自分の人生を立ち止まり考える時間としての芸術

世の中はどうだろう?

今の社会では、「効率」や「合理性」が最優先される。
何かを学ぶなら、それがどれだけ役に立つのかを求められ、何かをするなら、最短ルートを探すのが当たり前になっている。

このように、効率や合理性を助けるための「実用性」が重視されるといえる。

キャリアプランも、自己啓発も、まるで「誰かが用意したロードマップ」をなぞるように進められている。
「成功するための法則」「人生を変える習慣」そんな言葉が溢れ、皆が同じような道を歩こうとしている。

でも、ちょっと待ってほしい。

それは、本当に「自分の人生」なのだろうか?
効率的に進むことばかりを考えた結果、気がつけば、誰かが作ったテンプレート通りの人生になってはいないだろうか?

芸術は、その流れに「待った」をかける。

芸術に触れる時間は、目的のための手段ではなく、それ自体が目的になる時間だ。
美術館で絵を眺める時間、音楽を聴いて心を委ねる時間、小説を読んで別の世界に没入する時間。

それらはすべて、「自分と向き合うための時間」だ。

他人の成功法則に流されず、社会の基準に振り回されず、「自分は何が好きで、何を大切にしたいのか」を見つめ直す機会になる。  

誰かが作った「理想の生き方」に乗っかるのは簡単だ。  

でも、芸術に触れる時間は、そうした「外の基準」ではなく、「内なる自分」と対話する時間を与えてくれる。
何を美しいと感じるか。  

何に心が震えるか。
何を大切にして生きたいのか。

そうした問いと向き合うことは、人生の方向を決める上で、何より大切なことなのかもしれない。
芸術はそんな機会を与えてくれるものであると言える。


雨の音を聞きながら

雨はまだ降り続いている。
僕は布団の中で、何もしないまま考えごとを続ける。

今日は絵を描かなかった。でも、それでいいのかもしれない。

芸術は、描くことだけじゃない。考えること、感じること、それ自体がもう芸術なのだ。

そして、そんな「役に立たない時間」こそが、人生にとって本当に意味のある時間なのかもしれない。

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