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光を感じることと、知性のはじまり

光を感じることが知性に与えた影響は大きいのではないか

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光を感じることと、知性のはじまり — ピカイアに思いを馳せて

僕は休日になると、筆を取りたくなる。
それはもう、癖のようなものだ。
午後の遅い時間、コーヒーを淹れて、窓際の小さなイーゼルの前に腰を下ろす。
そして、真っ白なキャンバスに向かう。

目で光を捉えて、脳がそれを解釈し、手に伝える。
色を選び、線を引く。
本当に些細な行為だけれど、その中に無数の判断が潜んでいる。
「ここに影を落とすべきか」
「もっとやわらかい曲線のほうがいいだろうか」
そんなことを、考えるでもなく、でも確かに考えている。

手を止めて窓の外を見る。
午後の光がやわらかく差し込んでいる。
その光を感じる目があって、僕は描いている。
当たり前のようで、不思議なことだ。
目はなぜ、こうして光を捉えるようになったのか?
知性というものは、いったいどこから生まれてきたのだろう?

そんな問いがふと浮かんだ時、僕は以前テレビで見たある生き物を思い出した。
番組は確か、古代生物を特集したドキュメンタリーだった。
その中で、ひときわ印象的だった名前。
—— ピカイア

5億3千万年前のカンブリア紀、海の底に生きていた小さな生き物だ。
体長わずか数センチ、薄い体をくねらせながら泳いでいたらしい。
背中には脊索と呼ばれる柔らかな支柱を持ち、今の脊椎動物の祖先とされている。
僕たちサピエンスはピカイアの進化的子孫と言われている(※諸説あり)。

もちろん、ピカイアが「考えて」いたわけじゃない。
でも、光や影を感じて身を翻し、天敵から逃げていたことは確かだろうと言われている
それは単なる反射だったのかもしれないし、
あるいは、わずかでも「選ぶ」という行為だったのかもしれない。
一部の研究者は、そこに知性の萌芽を見ている。

もし、あの小さな体のどこかで、「どう動けば生き延びられるか」を判断する仕組みが芽生えていたとしたら…
それこそ、知性の最初の火種だったんじゃないかと思う。

時は流れ、種は変わり、環境も変わっていく。
でも「感じて」「選んで」「行動する」という繰り返しは、ずっと続いている。
ピカイアの小さな選択が、いくつもの枝を生み、
やがて人間や犬や猫になり、
今、僕がここで絵を描いている手の動きにまで繋がっているのだと思うと、
なんだか妙に静かで大きなものを感じてしまう。

窓の外の光は、少しずつ色を変え始めている。
次の日曜日、キャンバスに向かう時、
もしかしたら僕は、ピカイアのその先にいた生き物たちのことを思い描いているかもしれない。

彼らがどんなふうに「選ぶ力」を進化させ、
やがて「計画」や「言葉」を手にしたのか。
その考察も、次の記事で書いてみたい。

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