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デザインレビューの考え方

日曜画家をやっている。
といっても、日曜日だけ気まぐれに筆を握るわけじゃない。絵を描くときは、たとえ休日でも、できる限りの真剣さで向き合う。手を抜くことはしない。いや、正確に言うなら、手を抜くような絵は、最初から描かない。

普段の仕事は、アプリのUI/UXデザイナーだ。
人が迷わないように、ストレスを感じないように、さりげなく目的地まで案内する。そんな道しるべをデザインする。料理で言えば、出汁のようなものかもしれない。主役じゃない。でも、ないと成立しない。

そんな仕事の中で、避けて通れないのが「デザインレビュー」というやつだ。


デザインレビューというと、少し身構える人もいるかもしれない。
まるで試験のように感じる人もいるだろう。合格か、不合格か。正しいか、間違っているか。
でも、実際にはそんな単純なものじゃない。

デザインというのは、正解のない世界だ。
もちろん、明らかに「これはまずい」というアウトラインはある。たとえば、文字が小さすぎて読めないとか、ボタンが押しにくいとか、そういう基本的なラインは守らなきゃいけない。でも、その先にある「より良いもの」を目指すとき、そこに唯一絶対の答えは存在しない。

たとえば、あなたが森を歩いているとする。
どの道を選んでも、森の出口にはたどり着ける。だけど、どの道にもそれぞれの風景がある。どちらが正しいかではなく、どちらを楽しみたいかの問題だ。デザインも、似たところがある。


よくある誤解がある。
レビューで指摘を受けた=ダメなデザインだった、という誤解だ。

でも、そんなふうに思う必要はない。
レビューで指摘が入るのは、「より良くするため」のプロセスだ。
料理を出す前に味見をするようなものだ。味見をして「もう少し塩を足そうか」と思うことは、料理人として未熟だということではない。むしろ、味見を怠らないことこそプロの仕事だ。

エンジニアの世界でも同じだ。
絶対にバグを出さないエンジニアはいない。
だからコードレビューがあり、テストがあり、チームで補い合う。デザインも、それと同じだ。


もう一つ大事なことがある。
レビューで「指摘できる」こと自体、実はとてもありがたいことだということだ。

世の中には、叩き台すら出てこないプロジェクトが山ほどある。
方向性がぼやけたまま、誰も舵を切らず、ただ漂流していく。
そんな中で、たとえ未完成でも案を出す。考えを形にする。
それは勇気のいる仕事だし、チームにとっても大きな価値だ。

レビューというのは、その叩き台をみんなで囲んで、
「もう少しここを磨こう」とか、「この方向はどうかな」とか、
そうやって一緒に育てていく作業だ。

指摘する側が偉いわけじゃない。
提案する側が劣っているわけでもない。
単に、それぞれの立場から違う視点を持ち寄っているだけだ。


僕自身、デザインに取り組むときはできるだけ真摯でありたいと思っている。
誰にも指摘されないことを目指すのではない。
できるだけ良い提案を行い、できるだけベストに近づける。
そのためには、自分ひとりの目では限界があることを、素直に認める必要がある。

だからこそ、レビューしてくれる人には、
「僕の作ったこの森を、もう一度一緒に歩いてもらえませんか?」
そんな気持ちで接したい。

デザインレビューとは、競争ではない。
より良い出口を探すための、旅の途中の立ち話みたいなものだ。

今日もまた、静かにデザインに向き合う。
一歩一歩、森の中を歩いていく。

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