イカ焼きをかじりながらビールを味わう時いつも思うこと
イカ焼きとビールと、そして夏の音
―吉備津彦神社のお田植え祭にて―
ぼくの住む町には、毎年8月2日にちょっとした奇跡が起こる。
それは花火が夜空に咲くという類の奇跡であり、
イカ焼きの香ばしさにビールがしっくり寄り添ってくるという、
胃袋にも心にもやさしい奇跡だ。
吉備津彦神社で開かれる「お田植え祭」が、その舞台だ。
この神社は、桃太郎のモデルとも言われる吉備津彦命(きびつひこのみこと)を祀っている。
昔話の中では鬼退治に赴く英雄として語られるが、
実際のところ、歴史の中では吉備の国を治め、稲作を広めた賢王として人々に敬われていたらしい。
そう、この「お田植え祭」は、吉備津彦命が稲作を伝えたことに感謝し、
豊作を祈願する神事に由来しているのだ。
▼公式動画
神社の拝殿前では、白装束の女性たちが手に稲穂を携え、
昔ながらの田植えの所作をゆったりと舞うように再現する。
祭りというと派手で賑やかなイメージを抱くかもしれないが、
その原点には案外、静かな祈りのようなものが宿っている。
さて、子どもの頃から毎年のようにこの祭りに通っている。
別に義務感があるわけじゃない。
ただ、8月2日になると、体のどこかが自然にそわそわしてくる。
「ほら、あれがあるだろ」って、肋骨の隙間あたりからささやかれるような感じ。
大人になってからは、昔の顔馴染みに会う機会も少なくなった。
まあ、誰しもがそれぞれの時間に押し流されていく。
それでも、ふと屋台の灯りの向こうに懐かしい顔を見つけると、
時が戻るような、不思議な安堵を覚える。
今年はイカ焼きを三枚と、広島焼きを二つ。
まとめ買いしてベンチに座り、缶ビールをぐいっとあおった。
暑さが喉を通って、心のこわばりまで一緒に溶かしていく。
そして、打ち上がる花火。
どん、という音が胸の奥にひびいてくるたび、
「ああ、今年もちゃんと夏が来たんだな」と思う。
普段のぼくはというと、静寂の中で絵を描いている。
無音の部屋に、鉛筆のこすれる音だけが漂っている。
だから人混みは得意じゃない。むしろ苦手だ。
だけど、年に二度だけ、人の波に身を任せたくなる日がある。
初詣と、このお田植え祭の日だ。
人生って、ずっと静かなだけじゃどうも味気ない。
かといって、常に賑やかでもきっと疲れてしまう。
そのあいだを行ったり来たりするのが、
たぶん「うまく年を重ねる」ってことなんじゃないかと、
イカ焼きをかじりながら思ったりする。
人は、花火を見上げるとき、なぜか少しだけ正直になれる。
「この一瞬が続けばいいのに」とか、
「もう少し、ましな生き方をしたい」とか。
そういうことを思ったって、誰にも責められはしない。
夜空のなかに、光の尾をひいて広がる一瞬。
その刹那を胸にしまって、
また明日から、静かな日々に戻っていく。
イカ焼きの残り香をまとったまま。