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食べものは、音楽になる。

そしてその旋律は、どこかで今日の食卓ともつながっている。

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食べものソング・アーカイブス——耳で味わう、ちょっと不思議な食卓

僕は普段、食べものに関わるアプリのUI/UXデザインをしている。
つまり、食卓の向こう側——「誰かが今日何を食べるか」という小さな日常を設計する仕事だ。
だからだろうか。YouTubeの無限のレコメンド地獄をさまよっていると、ある衝動にかられる。
「食べ物の歌」だけを、ジャンルを問わず探してみたくなるのだ。
恋の歌は世界にあふれている。でも、食べ物の歌はもっと真実を語る。
人間が最後まで裏切れないのは、パンやスープなどの食べ物なのだから。


(以下、サムネイルタップでYouTube動画を再生できます。)

🍚 谷山浩子「朝ごはんの歌」

(ジブリ映画『コクリコ坂から』より)

これはもう、朝そのものの歌だ。
お鍋はグラグラ、まな板はトントトン。まるでキッチンが楽器でできたオーケストラのようだ。
“いそいで、いそいで。でも味わって食べてね。”
この一節に、人生の縮図を見た気がする。
急がなきゃいけないのに、味わいたい。
僕らの一日は、いつだってその矛盾から始まっている。


🐟 谷山浩子「素晴らしき紅マグロの世界」

谷山浩子という人は、時々こちらの精神を軽くねじってくる。
この曲もそうだ。「紅マグロに住みたい」という一文が、まるで正気のように歌われる。
幸福とは、もしかしたら理性をすこし手放すことなのかもしれない。
“わたしのこの道はマグロへつづく道”——
このフレーズを聞いた瞬間、僕はもう負けた。
彼女の狂気は、清潔で、どこか海の匂いがする。


🍨 アニメ主題歌「icecream°(愚物語)」

タイトルからして甘い。けれど、この歌のアイスはちょっと危険だ。
“君だけをアイス”なんて、ダジャレを装った告白。
テンポよく転がる日本語のリズムが、恋の温度とよく似ている。
冷たいほど、熱い。
人生もそうだ——溶けてしまう前に、ちゃんと味わわなきゃならない。


🍝 アニメ主題歌「お料理行進曲」キテレツ大百科より

コロッケを作る過程を歌い上げているあまりにも有名な歌。
“キャベツはどうした♪”というフレーズが永遠に耳から離れない。
昭和のアニメには、なぜこんなに「食」が登場するのだろう。
もしかすると当時の日本人は、空腹と夢のちょうど真ん中で生きていたのかもしれない。
2番目の歌詞ではナポリタンが作られていることは意外と知られていない。


🥤 みんなのうた「ぼくのミックスジュース」

NHK教育で流れていたあの曲。
子ども向けのはずなのに、どこか人生の真理を突いている。
「混ざる」ことの素晴らしさ。
個性とか多様性とか難しい言葉を並べるより、ミックスジュースの方がずっと正直だ。


🙏 讃美歌「わたしたちのたべるもの」

食べることは、祈ること。
この歌を聴くと、そんな当たり前のことを思い出す。
静かなメロディの中に、「生きることの責任」が潜んでいる。
パンを裂く音に、少しの敬意を。


🍛 創作ソング「ナン食べたい」Yukopi

どうやら作者様は、本気でナンを食べたいらしい。
でもその“本気”が愛おしい。
ナンという単語の響きには、なぜか幸福の音が混じっている。
世界が終わる前に、誰かとナンをちぎって食べたい——そんな気分になる。


🥕 童歌「大根づけ」

赤ちゃんをあやすわらべうた。
手のひらのリズム、声の温度。
AIも生成モデルも関係ない、もっと原始的な“ぬくもりのインターフェース”。
食べるという行為の根っこには、いつも「育てる人」がいる。


🥭 昭和歌謡:中原めいこ「君たちキウイ・パパイヤ・マンゴーだね」

この曲を聴くと、夏の湿度が上がる。
意味なんて考えちゃいけない。
“果実大恋愛(フルーツスキャンダル)”という言葉の響きだけで、もう十分に官能的だ。
南国の果実のように軽やかで、少し痛い。
昭和の恋は、たぶんこのくらいの温度がちょうどよかったのだろう。


🍜マキシマム ザ ホルモン「これからの麺カタコッテリの話をしよう」

タイトルからして脂ぎっている。
だが、歌詞を読むとこれは単なる“こってり礼賛”ではない。
健康を崩し、痩せ、そして「お前は太ってた方が良かった」と言われる——そんな現代人の“身体とアイデンティティの物語”なのだ。
デブであることの誇りを、ここまでエネルギッシュに描けるのはホルモンしかいない。
「コッテリ=生き様です」
まったくその通りだと思う。


🍮「プリン讃歌」(TVアニメ「おじゃる丸」より)

この歌の「プリン(ぷるん)プリン(つるん)」というフレーズを聞くだけで幸せになれる。
プリンを“ソナタ”と呼ぶセンス、やんごとなき甘さに酔いしれる殿のトリコっぷり。
どこか宮廷ロマンの香りすら漂う。
食べ物をここまで愛でるアニメ主題歌、そうそうない。


🍡「だんご3兄弟」——日常の中の兄弟愛

そして忘れてはいけないのが「だんご3兄弟」。
1999年、あの曲が流れた瞬間、日本中が団子屋になった。
歌詞は単純なのに、なぜか心に残る。
“だんごだんごだんご三兄弟〜”

—— その響きの中には、家族の不条理や、兄弟のささやかな誇りが詰まっている。
だんごたちが喧嘩しても、串は一本のまま。
それがいい。
バラバラになっても、心のどこかでつながっている。
この歌を聴くと、人間関係の難しさも、少しだけ甘く感じられる。


🍡 アニメ主題歌「だんご大家族」アニメ『CLANNAD』エンディングテーマ

だんご だんご だんご だんご だんご 大家族——。
この一節を聴くだけで、なぜだか胸の奥がじんと温かくなる。
歌っているのは、団子。でも、それ以上のものだ。

やんちゃな焼きだんご、やさしいあんだんご、夢見がちな月見だんご。
同じ“だんご”でも、一つひとつに性格があって、みんなで暮らしている。
つまりこれは、家族そのものの歌だ。
しかも、人間じゃなく“団子”だからこそ、普遍的に響く。

町をつくり だんご星の上 みんなで笑いあうよ

この部分には、食べものを通して描かれる「理想の共同体」がある。
誰も欠けず、みんなが手をつなぎ、まるい輪になる。
世界がうまくいかないとき、この歌を聴くと
「それでも生きていける」と思わせてくれる不思議な力がある。

食べものの歌は、時に人生の縮図だ。
温かく、やわらかく、そして、すべてを包み込む。
まさに“だんご哲学”の完成形と言っていいだろう。


☕ 食べものは、いつも物語を連れてくる。

食べものの歌を聴いていると、不思議な気分になる。
腹が減るわけでもなく、ただ心の奥がじんわりと温まる。
食べ物って、単なる栄養じゃない。
そこには誰かの暮らし、手触り、ぬくもり、そしてちょっとした狂気が隠れている。

僕はUI/UXデザイナーだけれど、そういう感性はずっと持っていたいと思う。
人がどんなふうに食べ、笑い、歌うのか。
その「間(ま)」の美しさを感じ取れるうちは、きっと大丈夫だ。

 

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