純粋芸術や純粋化学を追求することの醍醐味
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📻 AIラジオ by NoteBookLM
世の中は、だいたいいつも「役に立つかどうか」でできている。
それは悪いことではない。
役に立たない椅子には座れないし、役に立たない橋は渡れない。
けれど、人生のすべてがその物差しで測られてしまうと、
どこかで呼吸が浅くなる。
純粋芸術や純粋科学というものは、
その物差しをいったん脇に置くところから始まる。
19世紀の終わり、
物理学者・化学者マイケル・ファラデーは電磁誘導の実験をしていた。
それが何の役に立つのかと問われ、
彼は「まだ分かりません」と答えたという。
当時、それは正直な返事だった。
発電所もモーターも、まだ未来の話だったからだ。
彼は未来の社会を設計していたわけではない。
ただ「なぜこうなるのか」を確かめたかっただけだ。
その結果が、
私たちの部屋の照明や、スマートフォンの充電になっている。
だが、それは副産物であって、目的ではなかった。
ファラデーが電磁誘導を公開した際、当時の政治家から「それは一体何に役立つのか?」と問われ、彼はこう返したと言い伝えられています。
「生まれたばかりの赤ん坊が、将来何の役に立つか分かりますか?」
芸術の世界でも、事情は似ている。
ポール・セザンヌは、生涯にわたってリンゴを描き続けた。
売れるかどうかは、かなり怪しかった。
同時代の人から見れば、
彼は「なぜそんなことを?」という画家だったと思う。
けれど彼にとっては、
リンゴがそこにある、という事実がすべてだった。
色と形と重さ。
見るたびに違う。
昨日と今日で、微妙に世界がずれている。
そのずれを確かめることが、
彼にとっての生きる手触りだったのだと思う。
彼がやったことは意外なほど地味だった。
リンゴを、ただ何度も描いた。
見る角度を変え、色を置き直し、少し違う違和感を確かめる。
それを、飽きるまでではなく、納得できるまで続けた。
結果として起きたのは、
リンゴが特別になったことではない。
絵画が「世界を再現する窓」ではなく、
「見るという行為そのものを記録する場」へと変わったことだ。
一点透視図法は揺らぎ、
空間はきれいに閉じなくなり、
代わりに「人は実際にはこうやって見ている」という時間が画面に残った。
言い換えますと、セザンヌのリンゴは、
人が生活の中で何度も見返しているリンゴの「記憶の重なり」を、
一枚の絵の中にまとめたものだと言えます。
もう少し噛み砕くと
私たちはリンゴを見るとき、じっと一瞬だけ見て終わり、ではありません
そんなふうに、
いくつもの見え方を無意識に積み重ねています。
でも、従来の絵画は
「ある一瞬」「ある一つの視点」だけを切り取って描いていました。
セザンヌはそれに違和感を持った。
本当は、
人はそんなふうに世界を見ていないのではないか?
そこで彼は、
それらを、あえて一つの画面に同居させた。
だからセザンヌのリンゴは、少し歪んで見えたり、色が均一でなかったりする。
それは「下手」なのではなく、人が実際にリンゴを見ている感覚に、正直だったということです。
だからセザンヌのリンゴは、甘くもなければ、象徴的でもない。
ただ、そこに「ある」。
その当たり前さが、後の絵画にとっては、決定的に新しかった。
後に彼は近代絵画の父と言われる大画家になります。
多くの画家は、どこかでこう考えます。
セザンヌは、ほとんど気にしていません。
彼にとって重要だったのは、
評価の外側で完結する問いを、ひたすら繰り返していた。
これは職業画家というより、純粋芸術の探求者と言って良い態度です。
純粋な探求の時間は、誰にも消費されない。
SNSに出さなくてもいい。
評価されなくてもいい。
未完成のままでも、まったく問題ない。
その時間は、
「自分が世界とどう関係しているか」を、
静かに調整してくれる。
実用性という意味では、それは遠回りに見える。
けれど「世界は完全には閉じていない」という感覚は、
不思議な安心感を与えてくれる。
分からないことが残っていていい。
それでも、考えることは続けられる。
純粋芸術や純粋科学の魅力は、
「無駄」を許されているところにある。
結果が出なくてもいい。
途中で飽きてもいい。
失敗しても、誰にも怒られない。
それは怠惰とは違う。
むしろ、とても誠実な態度だ。
なぜならそこでは、自分自身の感覚だけが、判断基準になるからだ。
経済活動の外側に、ほんの小さな自分の領域を持つ。
それは逃避でも反抗でもない。
生活を成立させた上で、なお残る「余白」の話だ。
その余白で、線を引いたり、数式を書いたり、
どうでもいい疑問を考え続ける。
その時間は、幸せという言葉でしか表現できない。
少なくとも僕には、そう感じられる。
面白いことに、そうした「役に立たない時間」は、あとから振り返ると世界を動かしていることがある。
けれど、それを狙う必要はない。
ワクワクするのは、未来を変える可能性ではなく、
いま、この瞬間に世界と正面から向き合っている感覚だ。
それで十分だと思う。