マニエリスム
「調和」から「演出重視」へ
「調和」から「演出重視」へ
ルネサンスの黄金期が終わったあと、「完成された美」をどう超えるか――そんな問いかけの中から生まれたのがマニエリスムです。
レオナルド・ダ・ヴィンチやラファエロ、ミケランジェロが作り上げた“均整と調和の理想”はあまりにも完成度が高く、次の世代の画家たちはその完璧さを逆手にとり、あえて「不自然」や「誇張」を武器にしました。結果として、16世紀のヨーロッパはちょっと不安定で不思議な美意識に包まれることになります。
当時のイタリアは、宗教改革や戦乱などで落ち着かない時代でした。
そんな社会の不安定さもあって、芸術も「安定と調和」よりも「緊張とずれ」に惹かれていきます。ルネサンスで培った透視図法や人体解剖の知識は引き継ぎつつ、それをあえて崩すことで、見る人の目を釘づけにする表現が生まれました。
マニエリスムが生まれたのは、16世紀前半から後半にかけて。
ちょうどルネサンスの黄金時代がピークを迎えたあとで、ヨーロッパ全体は激動の渦にありました。
まずは政治と戦争。
イタリアはフランスや神聖ローマ帝国など大国の戦場となり、1517年には宗教改革が始まってカトリックとプロテスタントの対立が深まります。ローマも1527年に「ローマ劫掠(サッコ・ディ・ローマ)」で荒廃し、かつての繁栄が揺らぎました。
社会全体が不安定で、人々はこれまでの「調和」や「秩序」だけでは表現しきれない現実を生きていたんです。
そんな中で芸術はどう動いたかというと――。
ルネサンスの巨匠たちが完成させた「均整美」や「自然な写実」は、逆に次の世代にとっては重荷でもありました。すでに“完璧”を極めてしまったなら、そのあとにできるのは、崩すか、誇張するか。
そこで生まれたのが、ねじれたポーズや長い四肢、そして緊張感の漂うマニエリスムの表現です。
もうひとつ大きいのが「宗教改革」と「対抗宗教改革」。
カトリック教会はプロテスタントに対抗するため、芸術にも“信仰心を強めるための力”を求めました。けれど、その一方で、宮廷や貴族の間では「洗練された人工美」への憧れも強かった。
つまり、社会の現実は揺れていて、信仰・権力・美意識が複雑に絡み合う時代。その空気がマニエリスムの“美しいけどどこか不安定”な作品ににじみ出ています。
要するにマニエリスムは、
マニエリスムの作品には、次のような特徴があります。
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マニエリスムの一番の舞台はやっぱり絵画です。ルネサンスが築いた「自然で均整のとれた美」をあえて崩し、見る人を引き込むための誇張や人工性を強調しました。でも、その特徴は絵画だけにとどまらず、建築や彫刻にも広がっていきます。
要するにマニエリスムは、絵画で最も顕著に現れたけれど、建築・彫刻でも“ねじれ”や“崩し”の発想が共有されていたんですね。
そしてそれは、芸術が「自然を忠実に写す」時代から「美をどう演出するか」を探る時代へと移り変わったことを意味しています。
マニエリスムの精神は、今のアートやデザインにもじわじわと受け継がれています。
ルネサンスが「自然で理想的な美」を極めたあと、マニエリスムは「わざと不自然にする」ことで新しい美を追求しました。
その独特の緊張感や誇張の美は、遠い16世紀から現代のアート、建築、デザイン、ファッションにまで響き続けています。
ふと雑誌やポスターで、不思議に長いシルエットやちょっと不協和な色の組合せを見かけたら――それはマニエリスムの残り香かもしれません。