画家とカメラ、そしてAIの話 📷
歴史は繰り返されるもの
歴史は繰り返されるもの
昔むかし、写真というものがなかった時代、風景や人々の姿を記録するのは画家の仕事だった。彼らはアトリエにこもり、あるいは街角にイーゼルを立て、油絵や水彩で世界を描き出した。それが当たり前のことだった。画家だけが持つ特権であり、技術だった。
ところが、19世紀のある日、カメラというものが登場する。光を使って一瞬で風景や人の顔を写し取る、魔法のような装置だった。画家たちは少し驚き、少し戸惑い、そして何人かは焦った。「これで僕たちの仕事はなくなるんじゃないか?」と。だが実際にはそうはならなかった。むしろ、絵画はそこから進化を始める。
それまで絵画は、どれだけ本物そっくりに描けるかが重要だった。だが、カメラがそれを代わりにやってくれるようになると、画家たちは「じゃあ、僕たちは何を描けばいいんだ?」と考えた。そして彼らは、単なるリアルな再現ではなく、「リアルを超えたもの」を描き始める。光や影の揺らぎ、色彩の持つ感情、時間の流れ、空気の匂い。目に見えるものではなく、感じるものを描くようになった。
印象派が生まれ、抽象画が生まれ、表現主義が生まれた。もしカメラがなかったら、画家たちはいつまでもリアルを追い求め続けていたかもしれない。でも、カメラの登場が、彼らに新しい道を示した。リアルを捨てたのではなく、リアルを再解釈したのだ。
そして今、僕たちはAIの時代に生きている。
AIは、絵を描き、文章を書き、音楽を作る。ものすごい速さで、膨大なデータを学習し、まるで人間が作ったかのような作品を生み出す。かつて画家がカメラを見て感じたように、今、多くのクリエイターが「これで僕たちの仕事はなくなるんじゃないか?」と思っている。デザイナーも、イラストレーターも、作家も、音楽家も。
でも、たぶん、そんなことは起こらない。
カメラが画家を消さなかったように、AIもクリエイターを消すことはないだろう。むしろ、AIが得意とするのは「すでにあるものを再構築すること」だ。AIが描く絵は精密だけれど、どこかに“誰かが作ったもの”の影がちらつく。AIが書く文章は流暢だけれど、“誰の言葉でもない”感じがする。つまり、AIにはオリジナルの感覚がない。AIには、偏りや歪みがない。
僕たちは、たぶん、その「偏りや歪み」にこそ、人間らしさが宿ることを知っている。完璧ではないからこそ、心を動かされる。描く手が震えるからこそ、そこに感情が生まれる。色彩が少し濁るからこそ、そこに深みが生まれる。
だから、AIがリアルを描くのなら、僕たちは「リアルを超えたもの」を描けばいい。
写真が生まれたことで、画家たちが「写実から表現へ」と進化したように、AIの登場が、僕たちを新しい表現の世界へと導いてくれるのかもしれない。
そしてきっと、未来のどこかで、AIはまた別の新しい技術に出会うのだろう。
そのとき、AIは何を思うのだろうか?
カメラを前にした19世紀の画家のように、少し驚き、少し戸惑い、そして焦るのだろうか。
それとも、僕たちがそうであったように、「じゃあ、僕たちは何をすればいい?」と、新しい道を探し始めるのだろうか。