美術という物語に、僕たちはどう入り込めるのか
名著紹介
名著紹介
ある日、表紙の静かな余白に惹かれて、一冊の本を手に取った。
それがエルンスト・H・ゴンブリッチの『美術の物語 ポケット版』だった。
僕たちは、しばしば“なんとなく”という曖昧な視点で美術を眺めている。
美術館に行っても、感想は「なんかすごい」「きれいだった」で終わってしまうことが多い。もちろん、それでもいい。でも、ほんの少しだけ深く知りたくなる瞬間というのが、人生には訪れるものだ。
たとえば、コンビニでお茶を選ぶとき、無意識に麦茶を選んでいて「どうして?」と自分に問いかけたとき。
あるいは、Instagramのおすすめに出てきた絵に、なぜか目を奪われて、その画家を調べてみたくなったとき。
そんなふとした瞬間に、僕たちは無意識のうちに“物語”を探し始めているのかもしれない。
『美術の物語』は、まさにその“物語”を与えてくれる本だ。
1950年に初版が出てから、長らく世界中で読み継がれてきた。2019年には日本で新装版が復刊され、そして2024年、待望のポケット版が刊行された。
サイズは控えめ、でも中身は骨太。例えるなら、カバンの隅にこっそり入れておける“知識のおにぎり”みたいなものだ。見た目は小さくても、噛めば噛むほど味が出る。
この本の魅力は、美術史を“断片の知識”ではなく“ひとつの連続した物語”として描いているところにある。
洞窟の壁に描かれた野生の馬たちから始まり、ルネサンスの光と影、印象派のまどろみ、そして現代アートの実験的な挑戦まで。
まるで時間旅行のガイドブックのように、僕たちを美術の地層へと導いてくれる。
ポートフォリオ内の「時代の画家たち」というコンテンツを企画していく中で、
参考になる書籍や記事をいろいろ探していた。
その過程でこの『美術の物語』に出会えたのは、今思えばかなりの幸運だったと思う。
世界中で読み継がれてきた名著だというのに、長く美術に関心を持ち続けていた僕が、
これまでその存在を知らなかったなんて、自分でもちょっと驚いたし、正直、少し恥ずかしかった。
でも、こういう出会いにはたぶん“間違ったタイミング”なんてないのだろう。
必要なときに、必要な本はふと現れるものなのだと思う。
もし、アートはなんだか難しそうだと感じているなら、まずはこのポケット版を開いてみてほしい。
通勤電車の中でも、カフェの隅の席でも構わない。
ほんの数ページ読んだだけで、あなたの中の“観る目”は確かに変わるはずだ。
それはちょっとした冒険でもあるし、静かな対話でもある。
この本を通して、美術が少しだけ身近になるなら、それはきっと、とても自然なかたちで始まる。
まるで、長い旅の途中で偶然出会った、古い友人との再会のように。
『美術の物語 ポケット版』
エルンスト・H・ゴンブリッチ(著)
田中正之(協力)
河出書房新社(2024年10月ポケット版刊行)